あらすじ
中堅幹部隊員の先任伍長によるパワハラ的行為を告発したところ、調査がなされるどころか「虚偽告訴」だとして警務隊に逮捕される――まさに「物言えば唇寒し」と言わんばかりの事件が海上自衛隊で起きている。逮捕されたのは元隊員と現職2等海尉で、数日で釈放され不起訴(嫌疑なし)が確定した。警務隊の逮捕は、不当な逮捕権の請求・執行だとして、被害者の2人が国を相手に国賠訴訟を提起したのが2023年4月。約2年に及ぶ横浜地裁での審理を通じて浮かび上がってきたのが、パワハラを隠蔽し、組織に都合の悪い告発者に「報復」すべく工作がはかられ、逮捕もその一手段として乱用された疑いだ。折しも、戦争中のウクライナ軍との合同演習に海上自衛隊が密かに参加していたことが発覚した。自衛隊の暴走はとどまるところを知らない。 |
(前回からのつづき)
2 「お前を売っているぞ」
「逮捕をされたことがなかった私にとって、逮捕されたという事実は衝撃的でした」
A2尉とともに国を訴えた元3等海曹のBさんは柔らかい声で意見陳述をはじめた。
「どうして逮捕されたのか、何もわかりませんでした。何が虚偽告訴なのかを聞いても、警務隊は教えてくれませんでした。ずっとパニックで、熱と頭痛にうなされる中でも、取り調べが行われました。
『Aに言われてやったんだろ』
『Aがぜんぶやったことだ。皆そう供述しているぞ』
『Aはお前が勝手にやったと言っているぞ』
『Aはお前を売っているぞ』
警務隊にそう言われました。警務隊の言うとおりにすれば、罪は軽くなるし、うまくいけば不起訴になると言われました。警務隊が言うことをすべて飲めばすぐに釈放されると思いました。自分は不起訴になると思いました。
それから、私は警務隊が作ったとおりの供述調書にサインをしました。そうすれば自分は助かる、すぐに出られると思ったからです。とにかく早く釈放されたい。警務隊が作った調書にサインしなければならない。逮捕された当時はそのように信じていました。このことを、いま本当に後悔しています。
本当のことを話したいと思い、この裁判を起こしました。なぜ自分が逮捕されなければならなかったのか知りたいと思い、この裁判を起こしました。私は先任伍長からパワハラを受けました。私だけではありません。ほかにもパワハラをされたり、ひどいことを言われる隊員はいっぱいいました。ですが、自衛隊の風習として、パワハラの申告をしたら、その申告をした人が不利益を被るということを、自衛隊生活の5年で知っていました。だから、自衛隊に残る同期の友人たちのために、自衛隊を辞めていく自分がパワハラの申し立てをして、少しでも職場環境がよくなるようになってほしかったのです。それを虚偽告訴だと言って逮捕して、パワハラをもみ消そうとするなんて絶対に許せません。この裁判を通じて、自衛隊に残る同期たちのために、自衛隊のパワハラや、パワハラを容認する風潮をなくしたいです」
Bさんは裁判官に一礼して原告席にもどった。大勢の傍聴人の間に漂っていた緊張した空気がゆるみ、すこしざわつく。
民事訴訟は傍聴席から法廷のやりとりを見聞きするだけでは何をやっているのかよくわからない。実質的な攻防は、訴状や答弁書、準備書面、書証など、書類を通じて行われている。意見陳述に先立って行われた手続きで、原告側が訴状などを陳述、対する被告国側は請求を棄却する旨の答弁書を陳述した。「陳述」といっても読み上げるわけではなく、法廷で読んだことにする「擬制陳述」という手続きだから、記録をみていない傍聴人に内容がわかるはずがない。
以下、これらの書類、いわゆる訴訟記録を頼りに事件の詳細をみていきたい。
A2尉とB元3曹が国を被告として横浜地裁に訴訟を提起したのは2023年2月、代理人は刑事事件に詳しい中原潤一弁護士が担う。国家賠償法1条1項にもとづく損害賠償請求事件で、請求額は合計約1000万円(Aさん=596万2000円、Bさん=446万6000円)だ。
訴えの焦点は2022年9月27日に海自警務隊が2人を逮捕した行為にある。
1 警務隊が違法に原告らに対する逮捕状を請求して逮捕したこと
2 警務隊が逮捕時に弁護人選任権を適法に告知しなかった
3 (Aさん関係)2022年9月27日から、Aさんの意思に反して異動させ、(釈放後から不起訴確定の後にいたるまで)なんら仕事を与えず毎日始業から就業まで椅子に座らせる処遇をした
4 (Bさん関係)逮捕状を執行するにあたり、警務隊は職場に来て(同僚らにわかる形で)任意同行を求めた
5 (Bさん関係)Bさん及び(Bさんの)母親に対し、警務隊が弁護人選任権を侵害する行為をした
――逮捕に関連したこれら5つの行為について、不法行為にあたるとして国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めている。
A2尉は2006年3月に入隊、衛生関係に進み、自衛隊横須賀病院(横須賀病院)勤務を経て、事件当時(逮捕された2022年9月27日)は、都内にある自衛隊の医療施設で働いていたが、逮捕当日に予告なく異動させられた。異動先は横須賀基地業務隊補充部。机と椅子だけの部屋で仕事を与えられずただ座っているだけという待遇はこの補充部でのことだ。
B元3曹の入隊は2017年3月で、横須賀病院で勤務した後に2022年1月末付で退職、事件当時は民間の老人ホームで勤務していた。
AさんはBさんの元上司にあたる。
2人が警務隊に逮捕されたのは、2人が横須賀病院の先任伍長を務めていたE曹長に対して内容が虚偽の懲戒処分を申したて、それが虚偽告訴罪にあたるという疑いである。この懲戒処分申し立てというのは、Bさんをはじめ数人いる「パワハラ被害者」がそれぞれの署名入り答申書を作成し、それらをBさんが取りまとめる形で海上自衛隊の上層部に送付する格好でなされた。Aさんは、これらの答申書の作成に幹部として協力する形で関与した。つまり、Aさんが各人から事情を聞き、パソコン入力する要領で作成された。
これらの答申書が各人の意に反する虚偽の内容で犯罪だというのが警務隊の考えだ。E曹長によるパワハラ被害を告発する答申書を作成したのはB元3曹のほか4人。警務隊によれば、このうちB元3曹はA2尉と共謀関係にあり、あとの4人はA2尉らにだまされたという「犯行ストーリー」である。しかし、2人の身柄送致を受けた横須賀地検は、取り調べをすることなく、勾留延長請求もせずに逮捕2日後の7月29日に釈放し、11月末、嫌疑なしで不起訴処分とした。
Bさんの意見陳述にあるとおり、BさんはE曹長からパワハラを受けたと感じており、それをA2尉の協力を得て答申書にし、告発した。だが逮捕されて、警務隊から自白を強要され、パニックになり、真意に反して「告発内容は事実ではない」という供述調書に署名してしまう。そして釈放されて不起訴になった後で考え直し、やはりパワハラは事実であり、告発は虚偽などではないとして裁判を起こしたといういきさつである。
嘘を書いたと警務隊に言われたBさんの答申書とは、E曹長から受けたパワハラとはいったいどういうものだったのか。
(第3回につづく)
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