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映画『窓』 戦争前夜に必見
   誤解から燃え上がった憎悪の炎をいかに鎮めるか  

 身に覚えのない「タバコの煙」がきっかけでマンションの隣人から「副流煙が原因で体調が著しく悪化した」などと苦情を受けるようになり、誤解が解けぬまま不信が募り、そこに医師や弁護士が関与して火に油を注ぎ、ついには何千万円の損害賠償請求訴訟という「全面戦争」に発展する――。

 横浜市で実際に起きた隣人トラブルを題材にした劇映画『窓』(監督・麻王、主演・西村まさ彦。池袋HUMAXで上映中)は、戦争前夜といってよいきなくさい社会情勢の今だからこそ一見の価値があるだろう。

 誇張した表現ではなく、淡々とした地味な展開だ。それがリアリティを感じさせる。小さな誤解や思い込みが、隣人に対する憎悪感情を生み、関係断絶や衝突につながるというのは、ことの大小を問わず身近にありがちな話である。大きな社会運動に発展した一例がヘイトスピーチだろう。いったいどんな理由で特定の民族の人たちをそれほど憎むようになったのか、ヘイト行動に加担したり共鳴する多くの者たちはおそらくは自覚していない。誰かを憎む行為、それ自体に酔っているのかもしれない。

 映画は民事訴訟をめぐるマンションの隣人同士の人間模様を描いているが、筆者はそこに「戦争」を重ねて考える。国同士の関係がこじれ、話し合いもできなくなってしまうと、最悪の場合、殺戮と破壊の応酬になる。それをどうやって避けるかが本来であれば分別ある大人のなすべきことなのだろう。

 だが憎悪の熱狂が大衆に広がり、高まってある次元にくるともう止まらなくなる。熱狂と同調がとてつもなく悲惨な状況をもたらすことを日本社会はつい数十年前に身をもって経験したはずだが、また同じ現象が起ころうとしている。そう考えるのは杞憂だろうか。

 ハリウッド的な派手さを求めるなら、際限なく憎悪をエスカレートをさせて見せ場をつくるのかもしれないが、麻王監督はそうした陳腐な手法は取らない。

 いったい、隣人の間で燃え上がった危険な憎悪はどうなっていくのか。ラストシーンは示唆に富んでいる。

 ■映画『窓』公式HP

 ■実際の事件は『禁煙ファシズム 横浜副流煙事件の記録』(黒藪哲哉著、鹿砦社)に詳しい。

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「支払能力不問の一括請求は無効」との判決が存在していた!
 函館地裁、情報公開で判明

 日本学生支援機構の法令不遵守ぶりを象徴する行為のひとつが「支払能力」不問の繰り上げ一括請求(期限の利益喪失、いわゆる貸し剥がし)だ。日本学生支援機構法施行令5条5項、または日本育英会法施行令6条3項は、分割払いを繰り上げて一括請求できる場合として、次のように定めている。

〈 学資貸与金の貸与を受けた者が、支払能力があるにもかかわらず割賦金の返還を著しく怠ったと認められるときは、前各項の規定にかかわらず、その者は、機構の請求に基づき、その指定する日までに返還未済額の全部を返還しなければならない。〉

 お金がなくて延滞した人に対しては貸し剥がしをしてはいけない。与信なし、金銭的余裕のない人に貸し付ける、学問の機会均等のため、という奨学金ローンの性質を考えれば当然の規定である。

 ところが、支援機構はこの「支払能力」条項を、長期間延滞し、連絡もない、返還猶予手続きもしない者は支払能力があると認めざるを得ない――といった強引に解釈し、支払能力の審査なしで容赦なく一括請求をやっている。この問題は、現在、雑誌『週刊金曜日』で「日の丸ヤミ金奨学金」と題して連載中である。ぜひお読みいただきたい。

 この問題について、きょう、あらたな事実が判明した。支払能力を調べずに一括請求をしたことの是非が問われた訴訟で、施行令違反にあたり無効だとの判決が函館地裁で出されていたのだ。

 日本学生支援機構に対する情報公開請求で明らかになった。事件番号や判決日は「個人情報」を理由にして黒塗りにされている。この判決は広く知られるべきだと考え、本ブログで公開する。

■支払能力不問による繰り上げ一括請求(期限の利益喪失)は無効だと判断した函館地裁判決(10頁参照)

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文章が苦手な私が本を書いている謎

 読者のみなさん、おはようございます。最新刊『絶望の自衛隊 人間破壊の現場から』(花伝社)を買っていただいた方、お手にとっていただいた方、図書館に注文いただいた方にはこの場を借りてお礼申し上げます。まだの方もぜひお読みいただきますようお願い申し上げます。

『絶望の自衛隊』は、私にとって13冊目(内容が重複するものを含めると14冊目)の単著になります(メニュー欄をご参照ください)。雑誌記事に比べて単行本づくりは印象ぶかいものがあります。やはりそれだけ時間と労力をかけているからでしょう。

 私がジャーナリストという職業にかかわりだしたのは20代前半のころで(現在57歳です)、共同通信社の助手として中米ニカラグア取材に同行した1989年が最初でした。以来、フリー、新聞記者、フリーと、足掛け30年以上この仕事に携わってきました。

 ときどき誤解されるのですが、私は文章を書くのが得意ではありません。学校時代の国語のテストの成績は惨憺たるものでした。習字も苦手です。高校は理系科目を選択し、大学は受験科目に国語のない外国語大学を受けました。

 ですから、文章を書くことを職業にするなど、30歳になるころまでは夢にも思っていませんでした。文章が苦手ですが、ジャーナリズムには興味があったので、報道写真をやろうとしていたのです。それでも、写真記事を新聞や雑誌に掲載するには文字の原稿が必要で、短い記事を四苦八苦して書いていました。駆け出しのころは、何ヶ月間も外国を旅をして、帰国後に何本か書くといったのんびりしたやり方でした。生計はアルバイトで支えていました。

 本格的に記事を書きだしたのは31歳のとき、岡山の新聞社に入ってからです。中途採用を募集していることを友人に教えてもらい、興味半分で受けたところ、採用されて新聞記者をやることになりました。会社にいた5年間、みっちり文章の訓練をさせられました。新聞社のあり方にはいろいろ疑問があるのですが、締め切りに追われながら大量に文章を書いた経験はとてもよかったと思います。

 本を書く面白さを教えてくれたのは花伝社社長の平田勝氏でした。2002年ごろ、5年務めた新聞社をやめて岡山から東京に居を移し、テレビの仕事の傍らサラ金・ヤミ金問題を追及する記事を『週刊金曜日』に書いていました。サラ金最大手の武富士に名誉毀損で訴えられたのもこのころです。サラ金ヤミ金問題で本を書いてみないかとの平田氏の提案を受けて、『サラ金・ヤミ金大爆発』という本を出版しました。200頁分の文章を書き上げるのは、はてのない長い旅のように感じました。それまで新聞や雑誌に発表したものを再編した部分はあったものの、やはり一冊にするというのは別のものを作る作業だと知りました。

 そして、1〜2年に1冊のペースで本を出すようになるのですが、だんだんわかってきたのは、文章が書けないときというのは、往々にしてモノを考えていない、思考が練れていない、あるいは材料が不足しているということです。ああ、俺はモノを考えていないんだな、と本を書くことで気がついたということです。

 文章はいまでも大の苦手です。しかし、その難行に挑むことは嫌いではありません。なにより、本を通じて読者のみなさまとつながるのは醍醐味です。

 来年は、研究不正をテーマにした本をなんとか出したいと考えています。

 引き続きご支援いただければ光栄です。

  

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河野克俊・前統幕長の回想録にみる「おおすみ」事件の謎

 2014年1月15日朝、広島沖の瀬戸内海で起きた輸送艦「おおすみ」と釣り船の衝突事故(釣り船の船長ら2人が死亡)からまもなく9年になります。事故当時、海上幕僚長だった河野克俊氏(後に統幕長、現川崎重工顧問)の回想録『統合幕僚長』が2020年9月に発行されました。事件についても記述がありますが、事故の核心にかかわる多くの部分に誤りがあります。長年事件を取材してきた筆者には、これが単なる「誤り」にはとても思えません。

 マイニュースジャパンに検証記事を書きましたのでご覧ください。

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【『絶望の自衛隊』刊行 隊員虐待や自殺が多発する実態をレポート―日本帝国陸海軍から受け継いだ無責任の構図―】

 本サイトで継続的に報告してきた自衛隊の虐待問題や劣悪な労働環境問題、そして輸送艦「おおすみ」事故をめぐる疑問と検証記事をまとめた単行本『絶望の自衛隊 ―人間破壊の現場から―」(花伝社、本体定価1700円)が12月5日、刊行された。2013年以降に起きた10件の事件を追ったルポで、筆者の自衛隊シリーズ第5作。頻発する虐待や自殺、各種不正を前に、政府・防衛省が本気でそれらを無くそうとしていない実態が浮き彫りとなる。末端の隊員や中間管理職の責任は追及しても、幹部たちが決して責任をとらない構図は、旧日本帝国陸海軍から受け継いだ無責任の構図そのままだ――約20年におよぶ取材を振り返って筆者はそう感じている。

Digest

  • 20年の取材で見えた自衛隊「無責任」の構図
  • 輸送艦に追突されたと生還者証言
  • 嘘3連発
  • 「AISで両船の航跡が判明」の嘘
  • 「生存者の証言に矛盾」の矛盾
  • 「情報一元化」の意味
  • 記者クラブメディアを使った情報操作か
  • 事故の真相
  • 艦長尋問
  • 音声記録は物語る
  • 秘密保護法と立身出世

https://www.mynewsjapan.com/reports/4564

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盗用疑惑の大内氏が代表をする「奨学金問題対策全国会議」が法廷で開陳した❝批判者締め出し❝の名案

 多数にわたる著作盗用が発覚しながらいっさい責任を取らないという研究者にあるまじき態度を取っている大内裕和・現武蔵大学人文学部教授は、「奨学金問題対策全国会議」という任意団体の代表でもある。

 大内氏の著作盗用については本ブログでも繰り返し指摘してきたが、盗用を筆者が発見した端緒は、2019年7月にさかのぼる。この「全国会議」に筆者が(再)入会しようとしたところ、拒絶されたたという事件である。

 順を追って経緯を説明したい。

 全国会議は2013年3月に設立され、ほぼ同時期に筆者は設立メンバーから勧誘される形で会員となった。そして、会議の事務局からの依頼で共著『日本の奨学金はこれでいいのか!』(あけび書房、2013年10月刊行)の執筆を行った。当時多忙だったのでいったん断ったが、懇願されて引き受けた。以後しばらくの間、積極的に活動に協力した。

 しかし、約2年9ヶ月後の2015年12月に筆者は退会する。同会議の活動方針に疑問があったためだ。

 疑問とはこうだ。

 同会議に入ってまもなく、筆者は日本学生支援機構が「繰り上げ一括請求」と呼ばれる施行令に反した違法な貸し剥がし(支払能力を無視した期限の利益喪失)をしている事実を取材のなかで突き止め、前述の共著のなかで告発した。そして、全国会議としてもこの問題に取り組むよう再三にわたり働きかけた。ところが、この提言に対する同会議の関心は低く、ほとんど黙殺された。この様子をみた筆者は、同会議を外部から批判する必要があると考えた。そこでいったん退会することにしたのだ。

 退会に際して筆者は、一括請求について同会議が正面から取り組むよう促すのが退会の動機であるから、取り組みがなされるようになれば再び会に戻る意思があることを伝えた。

 はたして、退会から3年半が過ぎた2019年7月、筆者は偶然目にした全国会議の報告書で、同会議が「一括請求問題」について一項を設けて問題提起していることを知った。じつは、退会後ほどなくして「一括請求」の問題提起を目立たない形でしていたのだが、問い合わせも連絡もなかったので気づかなかった。

 全国会議の問題提起を知った筆者は、一括請求への関心が出てきた以上、もはや退会を続ける理由はなくなったと考えた。そこで、ふたたび同会議に入会し、ともに「奨学金ローン」問題に取り組みたい旨メールで申し入れた。なんら問題なくすんなりと受け入れられると予想していた。

 ところが返ってきた回答は「入会お断り」だった。理由にはこうあった。

 〈一括請求のことを熱心に主張することが予想され、会の活動に支障が出る。(趣旨)〉

 熱心に問題提起をすることがどうして会の活動を妨げることになるのか。不自然なものを感じた筆者は、ふと思い立って、それまであまり注目していなかった代表者の大内裕和氏の著作を調べてみた。大内氏が「一括請求」について発言するのを一度も見たことがなかった。その大内氏がどうして「一括請求」を理由にして筆者の入会拒否に同調するのか、奇妙に思ったのだ。

 その結果、大内氏が筆者の著作を多数にわたり「盗用」している事実を発見したのである。

 ――このようないきさつである。

 前置きが長くなったが、本稿の主題に入る。

 筆者は昨年7月、全国会議と代表大内氏に対して訴訟を起こした。「一括請求問題を熱心に主張する」ことを理由に入会拒否したことが不法行為にあたるとして損害賠償請求をする内容である。

 入会拒否だけなら訴訟をするつもりはなかった。だが、大内氏が盗用について最低限の謝罪すらしていないことを看過するわけにはいかなかった。著作権侵害の追及には限界があることから、やむなくあらたな切り口を探し、入会拒否問題で訴訟を起こすことにしたのだ。

 この訴訟の第1回口頭弁論が5日、東京地裁であった。訴えの概要は、全国会議の規程にもとづく入会承認(不承認)手続きを経ずに筆者の入会を拒絶した、思想差別であり精神的苦痛を受けた。全国会議や代表者の大内氏には賠償する責任がある、というものである。これに対して、被告全国会議が答弁書で反論を展開した。その内容に絶句した。

 趣旨はこうだ。

〈全国会議の規程に定める入会要領によれば、「全国クレサラ・被害者連絡協議会」(略称。クレサラ被連協)の会員以外は同会会員2名の推薦人をつけて、年会費2千円と所定の申込書によって申し込むとある。三宅はクレサラ被連協の正会員ではない。推薦人を伴って正式な入会申込みはなされていない。したがって、規程に定める入会審査も不要である。手続きに不備はない。〉

 正式な申込みがされていないから、入会拒否したことに問題はないという理屈だ。生活保護申請の「水際作戦」(窓口の職員が難癖をつけて申請をさせない行政手法)を彷彿とさせる。入会申請がないのに入会拒否をするというのもよくわからないが、その点についての説明はない。

 2013年の入会時にはこんな形式的な問題はなかった。想像するに、規程が定める入会審査抜きで入会拒否をしたことをとりつくろおうとして、正式な入会申込みではなかったといえばいいじゃないかと「名案」を思いついたということではないか。

 さすが弁護士である。頭がよい。司法試験に受かっただけのことはある。 

 だが、「三宅はクレサラ被連協の正会員ではない」から全国会議入会には推薦人が必要だという言い分は、内情を知るものからみれば三宅排除のための方便にしか見えない。筆者は、遅くとも武富士と訴訟になった2003年以降、クレサラ被連協のメーリングリストに加入し、会員らと積極的に交流してきた。会員になるよう求められたこともあるが、断った。取材する者と取材を受ける者の間に一定の距離を置くべきだと考えたためだ。つまり、クレサラ被連協の準会員的立場だった。

 思えば、入会拒否問題が起きた後、筆者がクレサラ被連協のメーリングリストで発言をしていたところ、非会員が発言してはならないなどといった意見が突如出始め、やむなく推薦人を募って正会員となった経緯がある。「正会員問題」は、今回の裁判で全国会議が展開した論理に通じるものがある。「うるさい三宅」を締め出すために知恵ものが考えたのではないか。

 いうまでもなく、筆者が全国会議を批判したのは、同会の一員として建設的な議論を促し、活動の活性化を期待してのことである。退会後に大内氏を批判したのは、盗用という明白な不正行為をしておきながら、責任を取らない、取らせないことが、会の信用失墜につながるとの考えもあってのことである。

 どうやら相手はそうは受け取っていないことがはっきりと見えてきた。

〈三宅に言われなくても「一括請求問題」はちゃんとやっていたんだ。大内代表にも非はないんだ〉

 本気でそう考えている。むろん、どう考えるかは個々の自由だが、批判者を物理的に排除するというのは、論戦をする覚悟がないことの証である。閉鎖的な活動は沈滞を招く。これも社会の衰退の一断面なのだろう。 

「マスコミはサラ金問題を取り上げない」とかつて厳しく新聞・テレビを批判した人たちが、日本学生支援機構(顧問弁護士は武富士代理人の熊谷信太郎氏である)の不当な取り立て行為を厳しく追及する一介のジャーナリストから全力で逃走しようとする姿は滑稽ですらある。結局は、新聞・テレビにちやほやされたいだけではないのか。