大内裕和中京大教授が、自身の著書や雑誌記事、論文多数のなかで私(三宅)が過去に発表した著述と酷似した表現を使用、著作権侵害にあたるとして損害賠償を求めた訴訟の弁論準備期日が8月30日、東京地裁であった(大内氏側は電話で参加)。大内氏側は、▽三宅の記事は単なる事実を書いているだけで著作物ではない、▽(パクリ元のひとつとして指摘している)雑誌「選択」2012年4月号記事は、その存在すら知らなかった――と果敢に反論した。しかし、早くも大きなほころびが露呈した。
というのも、『選択』記事に関して、大内氏が大学の調査に対して次のような説明をしていたことが訴訟手続のなかで判明したのだ。
三宅らとの共著『日本の奨学金はこれでいいのか!』(2013年10月、第1刷発行)の三宅執筆部分を読んだ後、(同著の三宅稿の注釈で紹介されていた)『選択』記事の存在を知った――(趣旨)
選択記事からのパクリ(疑惑)は、『日本の奨学金はこれでいいのか!』第1章の大内氏執筆部分でまず行われ、つづいて雑誌記事や講演多数で繰り返されている。つまり、大内氏の大学への説明内容に基づけば、『これでいいのか!』の大内原稿については、執筆時点で『選択』記事を知らなかったという言い訳はなんとか成り立ったとしても、それ以後に発表した記事や講演については、『選択』記事を知っていて発表したと自認したことになる。
そして、『これでいいのか!』の大内原稿のほうも、『選択』記事は知らなかったとはとても信じがたい事情がある。すなわち、同書は2度にわたって増刷されたのだが、大内氏は問題のパクリ疑惑部分にいささかの変更も加えていないのだ。
もし『これでいいのか!』発行後に『選択』記事を知ったのであれば、そこにきわめて似た表現があることに気がつかないはずがない。偶然の一致なのだから驚くだろう。しかし大内氏は、修正はおろか、私(三宅)への問い合わせすらしていない。
最初から『選択』の記事のことを知っていたと考えるのが自然だ。
8月30日の手続き終了後、裁判官がこんなことを尋ねてきた。
「和解で解決する意思はあるか」
著作権侵害を認めて謝罪する、口外禁止条項をつけない、誹謗中傷しないなどの批判禁止条項をつけない、といった内容であれば可能であると私は答えた。流れはこっちに傾いているようだ。