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文章が苦手な私が本を書いている謎

 読者のみなさん、おはようございます。最新刊『絶望の自衛隊 人間破壊の現場から』(花伝社)を買っていただいた方、お手にとっていただいた方、図書館に注文いただいた方にはこの場を借りてお礼申し上げます。まだの方もぜひお読みいただきますようお願い申し上げます。

『絶望の自衛隊』は、私にとって13冊目(内容が重複するものを含めると14冊目)の単著になります(メニュー欄をご参照ください)。雑誌記事に比べて単行本づくりは印象ぶかいものがあります。やはりそれだけ時間と労力をかけているからでしょう。

 私がジャーナリストという職業にかかわりだしたのは20代前半のころで(現在57歳です)、共同通信社の助手として中米ニカラグア取材に同行した1989年が最初でした。以来、フリー、新聞記者、フリーと、足掛け30年以上この仕事に携わってきました。

 ときどき誤解されるのですが、私は文章を書くのが得意ではありません。学校時代の国語のテストの成績は惨憺たるものでした。習字も苦手です。高校は理系科目を選択し、大学は受験科目に国語のない外国語大学を受けました。

 ですから、文章を書くことを職業にするなど、30歳になるころまでは夢にも思っていませんでした。文章が苦手ですが、ジャーナリズムには興味があったので、報道写真をやろうとしていたのです。それでも、写真記事を新聞や雑誌に掲載するには文字の原稿が必要で、短い記事を四苦八苦して書いていました。駆け出しのころは、何ヶ月間も外国を旅をして、帰国後に何本か書くといったのんびりしたやり方でした。生計はアルバイトで支えていました。

 本格的に記事を書きだしたのは31歳のとき、岡山の新聞社に入ってからです。中途採用を募集していることを友人に教えてもらい、興味半分で受けたところ、採用されて新聞記者をやることになりました。会社にいた5年間、みっちり文章の訓練をさせられました。新聞社のあり方にはいろいろ疑問があるのですが、締め切りに追われながら大量に文章を書いた経験はとてもよかったと思います。

 本を書く面白さを教えてくれたのは花伝社社長の平田勝氏でした。2002年ごろ、5年務めた新聞社をやめて岡山から東京に居を移し、テレビの仕事の傍らサラ金・ヤミ金問題を追及する記事を『週刊金曜日』に書いていました。サラ金最大手の武富士に名誉毀損で訴えられたのもこのころです。サラ金ヤミ金問題で本を書いてみないかとの平田氏の提案を受けて、『サラ金・ヤミ金大爆発』という本を出版しました。200頁分の文章を書き上げるのは、はてのない長い旅のように感じました。それまで新聞や雑誌に発表したものを再編した部分はあったものの、やはり一冊にするというのは別のものを作る作業だと知りました。

 そして、1〜2年に1冊のペースで本を出すようになるのですが、だんだんわかってきたのは、文章が書けないときというのは、往々にしてモノを考えていない、思考が練れていない、あるいは材料が不足しているということです。ああ、俺はモノを考えていないんだな、と本を書くことで気がついたということです。

 文章はいまでも大の苦手です。しかし、その難行に挑むことは嫌いではありません。なにより、本を通じて読者のみなさまとつながるのは醍醐味です。

 来年は、研究不正をテーマにした本をなんとか出したいと考えています。

 引き続きご支援いただければ光栄です。

  

作成者: MIYAKE.K

みやけかつひさ ジャーナリスト・スギナミジャーナル主宰者

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