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「名誉毀損」に関する考察(『救援』掲載記事の再録)

 救援連絡センターの機関紙『救援』に2016年10月から17年4月にかけて連載した記事「『名誉毀損』に関する考察」を再録したい。

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 「名誉毀損」に関する考察(2016年10月〜17年4月。『救援』掲載)
 

 日本は、じつはいまだに明治時代の延長にあるのではないか。この社会を見ていて筆者はときどきそう思う。以下、「言論の自由」「報道の自由」と「名誉毀損」というものを通じて考えていきたい。
 日本は「言論の自由」や「報道の自由」がある国だ――異論があるにしても、そうした意見に違和感を持たない人がこの国ではいまだ主流だろう。たしかに日本国憲法21条は「言論の自由」の保障をうたっている。しかし、報道(元新聞記者、現在はフリージャーナリスト)の現場で仕事をしている筆者はそうは思わない。真の意味での「言論の自由」あるいは「報道の自由」があるかというと疑わしい。大きな声に小さな声はつぶされても構わない。そういった類の「自由」しかないのが実情ではなかろうか。
 報道についてみれば、たとえば官庁や国会、大企業がもうけている記者クラブ制度は「言論不自由」を象徴する厚い壁だと言える。つまり、官僚らがもつ情報を一部のメディア企業が独占して流布するシステムである。情報が共有されない社会に自由はない。
 たとえば冤罪というのも、まさにこの記者クラブとの共犯によって生まれている。記者クラブを通じて警察・検察が真偽不明の情報を世間に垂れ流し、司法手続きの公正さを歪める。警察が逮捕した人物は「容疑者」という札をつけられて自動的に悪人となり、「犯行を認めた」とか「黙秘している」とかといった情報がまことしやかに流される。一方で「容疑者」の言い分が出ることはまずない。「容疑者」にモノを言う自由はまずない。三権分立、あるいは罪刑法定主義といった日本国憲法がうたっているはずの人権尊重の精神は、ここにはかけらもみられない。
 そして、近年増加している恫喝訴訟も、日本が本当は言論不自由な社会であることを象徴するひとつの現象だろう。記事などで企業を批判すると、書いた記者や出版社に対して「名誉毀損」だとして何千万円、億単位の損害賠償を求める民事裁判のことである。筆者は2003年に、雑誌『週刊金曜日』に連載した記事が原因で、消費者金融大手の株式会社武富士から1億1000万円の損害賠償を求める訴訟を起こされたことがある。日本は権力を批判する自由のない社会なのだと痛感した。
 事件を振り返ると、3本の記事をバラバラに切り分けて片端から「嘘だ」と決めつける訴え方にまず驚いた。バラバラにされた結果、争点は14におよんだ。
① 聴覚障がい者の親に対して腕をつかんで「息子の借金を払ってくれ」と取り立てて回収したという被害者の証言
② 小学生の息子の学校にまで社員がきて「お母さんはどこ」と携帯電話の番号を聞き出し、おびえさせたという被害者の証言
③ 支店長が上司から暴行をうけた様子を目撃したという元社員の証言
④ 回収ノルマが厳しく、怖がって家から出てこない債務者がいると、ドアをたたいて 「迷惑だ」などとなじったという元社員の証言
⑤ 「払わないと娘さんの名誉が傷つきますよ」と言って債務者ではない親から回収したという元社員の証言
⑥ 利息の過払いが発覚した場合はその分が回収のノルマに上乗せされたという元社員の証言
⑦ 過払いとわかって回収した顧客が強盗をして捕まったという元社員の証言
⑧ 顧客が自殺で死亡すると保険で債務が清算されるので職場がわいたという元社員の証言
⑨ 武井会長(武富士創業者)に対するお礼の手紙が茶封筒に入れたことを難じて胸倉をつかむなどして詰問したという元社員の証言
⑩ 顧客の債務を社員に負わせる「債務保証書」を書かせていたという元社員の証言
⑪ 利息計算書を改ざんして過払いをごかましたという元社員の証言。
⑫ 「親が払うのが当然だ」と言われて債務者ではないのに払ったという女性の証言
⑬ 顧客とのやり取りを記録した文書を改ざんしたという元社員の証言
⑭ 成績が悪い社員が集められて罵声を浴びせられる会議が行われたという元社員の証言
 これらすべて対して、武富士は根拠も示さず「ウソだ」と言い続け、筆者は「ウソではない」と反論することを強いられた。労力の大きさもさることながら、取材対象に協力を求めざる得ないことが負担になった。匿名で証言してもらった取材対象の協力なしには「真実性」「真実相当性」の立証ができない。しかし、それを求めるのは取材時の約束をやぶることになりかねない。
 幸い取材協力者は「武富士はウソをついている。許せない」と協力を申し出てくれた。もしそれが無理であれば敗訴していたであろう。武富士の訴えはつぎつぎに論破された。そうしてどうにか勝ったのだが、これでは裁判制度を使った検閲制度である。言論・表現の自由どころではない。
 いったい日本国憲法がありながらどうしてこんなことになっているのか。筆者を苦しめた「名誉毀損」のルーツを探っているうちにもうひとつの憲法にたどり着いた。「大日本帝国憲法」である。

(続く)

 日本国憲法は大日本帝国憲法の改正手続きを経て成立した。その大日本帝国憲法が発布されたのは1889年(明治22年)2月11日。国会はまだ開設されていなかった。
 憲法の役割とは、本来なら権力者の横暴を防ぎ民衆の権利を保障することなのだが、大日本帝国憲法はまったくちがう。当時は、自由民権運動の高まりのなかで「五日市憲法」や植木枝盛の「東洋大日本国国憲法按」など多数の民主的な内容の私擬憲法が考案されていた。それを横目に、伊藤博文や井上毅ら明治政府の有力者たちが「密室」で練り上げ、明治天皇から「臣民」にさずけるという儀式を通して権威づけを行ったのが明治憲法のはじまりである。民意はいっさい反映されていない。
 1887年(明治20年)には保安条例という弾圧法を作り、憲法の議論をすることすら禁止する。集会・秘密結社の禁止、運動の制限、「危険人物」の退去命令など、保安条例の内容はほとんど戒厳令である。こうした乱暴な手段を取らなければならなかったという事実そのものが、「政府批判を封じ、民衆を縛りつける」という大日本帝国憲法の本質をよく現している。
 さて、この元祖押し付け憲法とも言える大日本帝国憲法にも一応「言論の自由」がうたわれている。
〈大日本帝国憲法〉
・第29条 日本臣民は法律の範囲内に於(おい)て言論・著作・印行・集会及(および)結社の自由を有す
 しかし「法律の範囲内」という文言によって多種多様な言論弾圧がなされたことは言うまでもない。まず大日本帝国憲法が発布される以前から存在する弾圧法として、先に触れた保安条例のほか、1869年(明治2年)の出版条例、讒謗律(ざんぼうりつ・1875=明治8年)、新聞紙条例(同)、集会条例。憲法発布後は、治安警察法(1900=明治33年)などがある。出版条例はその後出版法に、新聞紙条例は新聞紙法に、集会条例は集会及結社法に、治安警察法は治安維持法にと時代とともに強化され、民衆の自由を奪い続ける。多くは戦後に廃案となったが残ったものもある。そのひとつが讒謗律だ。1880年(明治13年)に刑法の名誉毀損罪と名を変え、今日に至っている。
 前回記事で紹介したとおり、筆者は消費者金融武富士から名誉毀損だとして民事提訴されて苦労したことがあるが、この名誉毀損の前身は讒謗律だったのだ。讒謗律が出来た当時は憲法はおろか国会もなかった。民主的な立法手続きはとられていない。そんなかび臭いものがいまなお生き残っているというのが筆者の実感である。
 讒謗律はその登場当時から「弾圧目的」との認識がなされていたようだ。1875年(明治8年)6月28日の『太政官日誌』には「官僚政治唯一の護身器として/讒謗律の巨弾備へらる」との見出しで讒謗律の内容を報じている。
〈讒謗律〉
・第1条 凡(およ)そ事実の有無を論ぜず人の栄誉を害すべきの行事を摘発公布する者、之(こ)れを讒毀(ざんき)とす。人の行事を挙ぐるに非ずして悪名を以(もっ)て人に加へ公布する者、之(これ)を誹謗とす。著作文書、若(もし)くは画図肖像を用い展観し、若くは貼示して人を讒毀し、若くは誹謗する者は下の条別に従(したがい)て罪に科す
・第2条 第1条の所為を以て乗興を犯すに渉る者は禁獄3月以上3年以下、罰金50円以上1000円以下。
・第3条 皇族を犯すに渉る者は禁獄15日以上2年以下、罰金15円以上700円以下。
・第4条 官吏の職務に関し讒毀する者は禁獄10日以上2年半以下、罰金10円以上500円以下、誹謗する者は禁獄5日以上1年半以下、罰金5円以上300円以下。
「凡(およ)そ事実の有無を論ぜず人の栄誉を害すべきの行事を摘発公布する」ことを讒毀という犯罪だと第1条で言っている。つまり内容が本当であるかにかかわらず名誉を害することを公表すれば即犯罪になるというわけだ。現在の名誉毀損とまったく同じ法理である。しかも、官吏(役人)の職務を批判することも犯罪にされている。 
 この讒謗律は、1880年(明治13年)に刑法の「誣告(ぶこく)及び毀損の罪」に変わり、さらに弾圧性を強める。
〈旧刑法〉
・358条 悪事醜行を摘発して人を誹毀したる者は事実の有無を問はず左の例に照して処断す
 1 公然の演説を以て人を誹毀したる者は11日以上3月以下の重禁錮に処し3円以上30円以下の罰金を附加す
 2 書類画図を公布し又は雑劇偶像を作為して人を誹毀したる者は15日以上6月以下の重禁錮に処し5円以上50円以下の罰金を附加す
 「罪」の軽重を問わずすべてに禁錮と罰金が科せられた。そして事実かどうかにかかわらず誰かを批判すればただちに罪になるという点も讒謗律と同じであり、そして現在の刑法・民法の名誉毀損の考え方とも共通する。
(続く) 

3

『ニッポンの裁判』(講談社現代新書)を著した元裁判官の瀬木比呂志氏(現明治大学法科大学院専任教授)によれば、報道に対する名誉毀損訴訟の質が決定的に変わるきっかけは2001年だという。せいぜい100万円だった賠償の上限額が「500万円以上」に激増する。その背景事情を瀬木氏はこう分析する。
〈01年当時、森喜朗首相の自民党政権はメディアから激しい批判に曝されていた。森氏の危機感に同調したのが、週刊誌の標的にされ続けていた創価学会と公明党だ。同年3月から5月にかけ、自公両党が衆参法務委員会などで裁判所を突き上げた。
 当時、衆議院法務委員会に呼ばれた最高裁判所事務総局の千葉勝美民事局長は、5月16日に次のように答弁している。
「『判例タイムズ』の5月15日号に元裁判官による関連論文が掲載されている」「近いうちに司法研修所で『社会通念に沿った適切な損害額の算定』を含む損害賠償の実務研究会が開かれる予定」
『判例タイムズ』とは、最高裁事務総局が新法解釈や運用指針などについて公式見解を出す際に活用する媒体。裁判官に対しては極めて大きな影響力がある。しかも司法研修所とは、裁判官会議の下に事務総局と並んで設置された部門だが、実態は事務総局の人事局や広報課の下にあるといっていい。(中略)
 その『判例タイムズ』に掲載された関連論文で「名誉毀損損害賠償額として相当」と結論づけられていたのが「500万円程度」だったのだ〉(『PRESIDENT』2015年3月30日号より引用、一部省略)
 新聞・雑誌・テレビによる批判に困った自民党と公明党の政治家が、裁判所を動かして言論弾圧を試みた。最高裁もその要請に応じて、賠償額の高額化を検討し、裁判官に対して事実上の指示を行ったということらしい。
『判例タイムス』は続く11月15日号で、司法研修所の研究結果だという「慰謝料算定基準表」を掲載。「タレント等10点」「国会議員・弁護士等8点」「その他5点」といった形で、職業差別というほかない慰謝料の点数が示された(1点=10万円)。
 この賠償高額化工作に「自由人権協会」役員として一役買ったとみられるのが弘中惇一郎弁護士だ。報道被害を防ぐためには賠償額の高額化が必要だとの発言を日弁連主催の催しなどで行っている。
 そして、筆者と『週刊金曜日』に対して1億1000万円の損害賠償請求訴訟を起こした武富士の代理人弁護士を務めたのもこの弘中氏だった。「人権派弁護士」との評判があったが、私の印象はまったく違った。「廊下のある支店はない」「関西弁を話す社員などいない」といったいい加減な主張を平然と行った。論破されると、とうとう最後は、武富士から不当な取り立てを受けた被害者に向かって「虚言癖」という、まさに名誉を貶める言葉を投げつけた。強者にやさしく弱者に厳しい「下品」な弁護士に見えた。
 弘中氏率いる武富士の完全敗訴が最高裁で確定した後、同氏は『論座』2006年12月号に「司法の論理とマスコミ・世論の狭間で」と題する記事を寄せた。
〈……裁判というのは基本的に、弱者のための手段という側面が強いわけです。強者はほかの権力や手段を使って目的を達成することがありますが、弱者は、ドミニカの日本人移民訴訟などもそうですが、最終手段は裁判しかありません。そういう意味では、強者が司法を利用するにあたっては慎重にならなければ「報道を規制するのか」という誤解を招く恐れが出てくる……〉
 一見まっとうなことを言っているのだが、続く一節に筆者は吹き出した。
〈……ただ、強者と弱者の関係は難しくて、武富士の武井保雄元会長は確かにお金持ちかもしれませんが、彼とマスコミを比べれば、マスコミのほうがはるかに強者です〉
 弘中氏によれば、零細企業の『週刊金曜日』や年間の売り上げが300万円ほどの筆者のほうが東証一部上場企業の武富士や創業者武井元会長よりもはるかに強者であるらしい。荒唐無稽というほかない。
 つまるところ、政治と司法との取り引きに関与することで弁護士業界に「名誉毀損訴訟」ビジネスを興した。それが弘中氏の功績なのだろう。むろん弁護士団体の責任は大きい。人権や法律の歴史をみれば讒謗律の復活とでもいうべき重大事態のはずだが、「ビジネス」に目がくらんだのか、日弁連は名誉毀損の高額化を容認する。いろんな意味での歴史の転換点がここにみられる。
(続く)

4

「共謀罪」法案が国会に上程されそうである(2月28日現在)。犯罪を犯さなくても「計画」に加担しただけで犯罪者になる、あるいは犯罪者と疑われて逮捕・勾留や家宅捜索の対象となってしまう。その「計画」や「加担」の程度は捜査機関が判断する。
 警察が好き放題に人間を拘束し、取り調べることができる時代がそこまできている。戦前、弾圧に猛威を振るった「治安維持法」の再来だとの指摘はまさにそのとおりだろう。
 不自由な暗い世の中になりそうなのだが、新聞・テレビなど主流メディアの反応は総じて鈍い。世論もどこか盛り上がりと危機感を欠いている。
 なぜか。私見ではあるが、日本社会の近現代史を振り返ったときに、権力者から自由をたたかい取った体験が希薄である点に大きな原因があるように思う。果敢にたたかった経験があるにしても、その歴史が霞んでしまって、いまに生きていない。
 安倍政権が熱望する「憲法改正」とは、一言で表せば明治時代の大日本帝国憲法の再現である。安倍首相とその支援者たちは明治が好きなのだろう。その明治政府は、戊辰戦争という暴力によって権力を握って以降、常に言論を封じることに腐心してきた。国会開設や大日本帝国憲法ができる前から、讒謗律、新聞紙条例、出版条例、集会条例といった言論弾圧法を非民主的な手続きでつくり、権力維持に活用した。
 この明治からはじまる一連の言論弾圧策の延長に治安維持法があり、そしていまの共謀罪の企てがあるとすれば、明治初期にまでさかのぼって、どのような言論弾圧がなされ、それがどう「進化」し、一方で弾圧の標的となった者たちがどう抵抗し、そしてどのように挫折したかを知っておくことには意味があるだろう。
『朝日新聞社史・明治編』が手元にあるので、同書を引きながら「弾圧史」を見ていきたい。
 同書によれば、明治8年(1875年)に公布された新聞紙条例によるはじめての受難者は、『東京曙新聞』編集長の末広鉄腸だった。新聞紙条例を社説で批判したことが罪に問われ、禁獄2ヶ月、罰金20円の処罰を受けた。弾圧される記者や編集者が続出し、条例公布から1年後の明治9年(1876年)6月28日、東京・浅草寺に新聞関係者が「新聞供養大施餓鬼会」と題する集会を開いて抗議の声を上げたという。
『朝日』は明治12年(1879年)1月の創刊だが、その2ヶ月後に偽札犯の氏名を間違ったとして讒謗律で罰金刑を受ける。以後約2年の間に19回もの罰金刑を受ける。そして創刊2年を迎えた明治14年(1881年)1月、とうとう発行禁止処分となるのだが、その理由は明らかにされなかった。
「…突然、大阪府知事から申し渡された。発行停止の理由も、期間も、示されていない。数日間の新聞を、いくら読み返してみても、この処分に値するような不穏な記事は見あたらない。まったく青天の霹靂(へきれき)であった」と社史には説明されている。結局発禁は3週間に及ぶ。理由は不明だが、国会開設や憲法の必要性をわかりやすく解説した「平仮名国会論」(小室信介筆)に過敏になった可能性があった。
 明治13年(1880年)7月、太政官布告によって刑法と知罪法(現在の刑事訴訟法)が制定され、讒謗律は名誉毀損罪となって罰則が強化される。そして明治15年(1882年)1月に施行されると投獄される編集者が続出、朝日は編集人の瀬戸房吉が15日間投獄される。民権運動家に小屋を貸すといって金をとりながら貸さなかった京都の芝居小屋の主が詐欺で訴えられた、という記事が原因だった。事実であっても名誉毀損は成立した。この法理はいまも基本的に同じである。
 瀬戸は出獄後、9回にわたって入獄体験記を連載して悲惨な監獄の様子を報告したという。  
 報道関係者にとっては不自由な時代であったが、いまよりも反骨精神にあふれていたことも事実である。
(続く)

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 日本の裁判官は検閲官に成り下ってしまった――そうした印象を受ける「歴史的」な判決が昨年11 月、言い渡された。原告は、「東進」のブランドで全国に多数の予備校を展開している株式会社ナガセ、被告は、この「東進」に関する記事を掲載したインター ネットのニュース媒体『マイニュースジャパン』。両者の間で争われた民事訴訟で、東京地裁(原克也裁判長)は、マイニュースに対して、40万円の賠償金支 払いと記事の見出し部分を削除するよう命じた(現在東京高裁で審理中※)。

メガネをかけ、顔色もよくない。オーラもない。ごく平凡な中年サラリーマンといった風貌の原克也裁判長は、ばつが悪かったのか、終始下を向いたままモゴモゴと上の判決を言い渡した。

「見出しが虚偽でナガセの名誉を傷つけた」とナガセが主張し、それを認めた判決だが、そこにつけられた理由は奇妙というほかない。 

 問題の記事は、2014年10月 に発表された〈「東進」はワタミのような職場でした――ある新卒社員が半年で鬱病を発症、退職後1年半で公務員として社会復帰するまで〉と題する報告。ナ ガセとフランチャイズ契約を結んで「東進衛星予備校」を経営する在阪の某企業に就職し、休日もろくにない長時間労働でうつ病を発症した男性の体験記だ。

 この見出しのどこが「虚偽」で「名誉毀損」なのか。裁判所の理屈はこうだ。

「ナガセ社が直営・フランチャイズ方式の両方によって全国で運営する『東進』予備校の全てかその多くで同様のことが起きているような印象を与える」

「印象を与える」というのが虚偽認定の唯一の根拠なのだ。恐るべき乱暴な論理である。

読者が記事を読んでいろんな印象を持つのは当たり前のことだが、書かれた事実と読者がどう理解するという問題と、読んだ結果どのような印象を持つかはそれぞれまったく別の性質のものである。問題の記事や見出しで表現されている事実は、特定の「東進」の職場における特定の体験である。そのことは誤解なく正確に読める。

ナガセは次のような主張をしていた。つまり、直営で経営している「東進ハイスクール」とフランチャイズ経営の「東進衛星予備校」の違いについて見出しが明らかにしておらず、単に「東進」とだけ表現している。だから「虚偽」で「名誉毀損」だ--。

「東進」という記述がまったく別の 企業であるかのような誤解を招くのならともかく、直営であろうがフランチャイズであろうが、どちらもナガセの経営・運営下にあることに違いはない。そもそ も、全国に1000校以上ある「東進」校舎のうち9割はフランチャイズ経営の「東進衛星予備校」なのだから、「東進衛星予備校」に関する話を「東進」と表 現するのはごく当然のことだろう。

普通の民主的社会なら相手にされないような詭弁だが、原裁判長は丸呑みにした。そして書かれた事実よりも内心の「印象」を根拠にしてナガセの肩を持ち、見出しは虚偽だと決めつけた。地動説を唱えたガリレオ=ガリレイを断罪した異端審問官を彷彿とさせる。

事実を書いても名誉毀損は成立する。ただし、公益性・公共性があり、かつ真実性・真実相当性が証明できれば違法性が免ぜられる――これが現在使われている日本の名誉毀損の仕組みである。立証責任は訴えられた側に課せられる。

この名誉毀損の法理が、企業批判をしにくくする装置として近年さかんに使われるようにな った。その源流をたどると明治政府の「言論弾圧」にいきつくということは連載のなかですでに触れた。今回の判決はこの悪名高い「名誉毀損」 の論理をさらに飛び超え、大企業を批判すること自体が違法なのだと事実上公言したようなものだ。原裁判長がそこまで考えていたかどうかはわからないが、名誉毀損の原点たる讒謗律の本質がむき出しにされた歴史的瞬間だといってよい。

明治維新から150年が経つ。真の意味で「言論の自由」獲得への道のりはいまだ遠そうである。 

※東京高裁はナガセの請求を棄却する逆転判決を言い渡し、確定した。
(おわり)

 

作成者: MIYAKE.K

みやけかつひさ ジャーナリスト・スギナミジャーナル主宰者

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