昨年(2021)6月22日、旭川医科大の校舎内で学長選考会議の様子を壁越しに取材していた北海道新聞の新人記者が、大学職員によって建造物侵入容疑で私人逮捕される事件が起きた。大学に身体拘束された記者は北海道警察に引き渡され、約2日間逮捕勾留された。その後書類送検され、不起訴となった。
逮捕にあたって北海道新聞はこの記者の名前を入れた逮捕記事を報道した。
この事件について様々な報道やSNS上での意見表明がなされてきた。記者の名を報道したことに問題があるとする意見もある。これについては思うところがある。実名報道したことがなぜ問題なのか。
記者というのは名前を公表して仕事をする職業である。名前を明らかにするとは自身の言動に責任を負うことにほかならない。
そのことを考えると、記者の名前を報じたことが問題になるのは違和感がある。逮捕したこと(逮捕させたこと)を問題にするならわかる。本人の名前を出して、警察や旭川医科大に対して抗議すればよい。本人にその意向があれば、自身が抗議の発言をすればよい。著名になって仕事がしやすくなるチャンスかもしれない。
ところがそうなっていない。なぜか。
新聞に「逮捕された」と名前が出るというのは、日本ではきわめて不名誉なことだと受け止められているからだ。刑事訴訟法では、罪を裁くのは裁判所であって警察ではない。ところがじっさいは警察が逮捕した人は悪いやつだーという迷信が世の中に染みわたっている。その片棒を担いでいるのがほかならない新聞(記者クラブメディア)だ。
北海道新聞が記者の逮捕を実名入りで報じたのは、道警との良好な関係維持のためだったと考えてまちがいないだろう。「逮捕したら名前を出す。在宅捜査なら出さない」という密約が記者クラブと道警の間にはある。
北海道新聞記者逮捕事件で問われるべきは、記者クラブメディアと警察の共犯による「犯人視報道」ではないか。