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国葬問題に思う
 「住民監査請求・住民訴訟の国政版を作れ」という声がなぜ聞こえないのか

 岸田内閣が、殺害された安倍晋三元首相を多額の公費をつかって「国葬」する方針だと伝えられている。これに対して違法性をとなえる声が野党から上がっている。批判は当然だと思うが、この種の税金の無駄づかいが問題になるたびに気になっていることがある。

「住民監査請求・住民訴訟の国政版を作れ」という声がなぜ聞こえてこないのか。

 仮に「国葬」が東京都の税金でされるのであれば、都民が直接支出差し止めを求める住民監査請求を起こすことができる。監査委員は不当・違法を監査し、結果を出す。それに不服があれば東京地裁に住民訴訟を提起し、裁判所で違法性を審議する。

 そういう異議申し立ての手続きが地方自治法によって保障されている。ところが同じ税金の使途なのに、国の機関については同種の異議申し立てができない。理由はひとつ。法律がないからだ。法律をつくるのは国会の仕事である。その国会が働かない。立法不作為である。

 日弁連は2005年に公金検査請求訴訟制度の設立を提言しているが、議論は一向に盛り上がらない。

 民主主義も権利も、だまっていては手に入らない。結局は、税金に異議申し立てする手立てがほしいと願う人の数が少なすぎるということだろう。 

 

作成者: MIYAKE.K

みやけかつひさ ジャーナリスト・スギナミジャーナル主宰者

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